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青と黄色のあいだ

好きなものを好きなだけ

本当の地獄にいるのはだれか?

読書

窪美澄さんの『さよなら、ニルヴァーナ』を読んでさっそく感想を。

さよなら、ニルヴァーナ

さよなら、ニルヴァーナ

 

 作品紹介には「少年A」に人生を変えられた人々の物語、「少年A」は彼らに何をもたらしたのか、とあります。

窪美澄さんの作品には人が普段あえて目をそらしている部分に触る残酷さがあると私は考えているのですが、この『さよなら、ニルヴァーナ』でもその切れ味は抜群。加えて「少年A」によって影響をもたらされた彼らの悲しい、苦しい感情も描かれているのだから、読んでいる人は辛い。で、同じかそれ以上、作者である窪美澄さんも辛かっただろうと思う。

物語を語っているのは被害者、「少年A」を崇拝する少女、作家を目指す女性、加えて「少年A」。

『さよなら、ニルヴァーナ』を読んだ後の、どうにもすっきりしないもやもやというのは結末によるものではなく、物語の語り手として「少年A」が登場していることに関係する。

たった七歳の少女を殺害した「少年A」は絶対悪的存在なのにも関わらず、「少年A」が犯行に至ったまでの彼の人生を読んでしまうと全ての責任が「少年A」にあるとは思えなくなり、わたしの怒りの感情は行き場をなくし、宙を漂う形となった。

これは窪美澄さんにしてやられた感が拭えない。

事件について何も知らない人が事件の表面だけを知って「少年A」は殺すべき、という結論を出すのは違うんじゃないかと窪美澄さんが静かに諭しているようにも感じる。

その判断はわたしたちが下すべきではない、と。

「少年A」を許すも許さないも判断していいのは被害者と「少年A」だけであり、わたしの想像もつかないような地獄の中にいる彼らだけだ。話しを聞いて勝手に地獄を体験したような気持ちになっているわたしなんて本当に本当に論外なのだ。

被害者、「少年A」の運命の相手である少女の心の機微だけでなく「少年A」の心にまで焦点をあて、平等に描いている窪美澄さんはとても真摯だ。その真摯さ、どんなに苦しくても小説を書いて、書きぬいていくこと、『さよなら、ニルヴァーナ』では窪美澄さんのその覚悟を受け取ることが出来た。

素直に面白いとも言えないし言いたくないし、読み終わったあと私の中に何が残ったのかそれも今は分からない。今の私では分からないことだらけの作品だった。でも今は分からなくても、この先生きていけばいつか作品の中の核を受け取ることが出来る瞬間が来る。『さよなら、ニルヴァーナ』は読後しばらくは固い蕾のままだが、いつか体内で花開く、そういう作品だ。