青と黄色のあいだ

好きなものを好きなだけ

食欲より読書欲が勝つ、たぶん

 

『火花』は読んでいないけれど、エッセイである『夜を乗り越える』を読んだ。

 

 

今日も明日も、わたしたちは本を読んで生きていく。本を読むことは、なににもならないと誰かが言い、反対に本を読むことで自己を形成できると言う人もいる。

正直どちらにも当てはまるし、どちらでもいい。ただ楽しく、面白く、本を読めればそれでいい。

本はやっぱり娯楽であると思う。

わたしは本を読むこと自体に意味を持たせる時と、持たせない時があるけれど、どちらの時でも、本を読むことは基本的に娯楽だな、と思っている。

ただ本を読むには人それぞれかかる時間の長さが違うから、短距離走みたいだったり、長距離走みたいだったりして、1つの娯楽でも人の数だけ楽しみ方があると思うと、本は楽しさが尽きない娯楽だなと感じる。

でもやっぱり娯楽でしかないから、本を中心にして、生活を回すことは出来ない。ある職業に就いている人たちを除けば。

生活を軸に両腕を伸ばしながらその場でくるりと回ると、生活の周りにある色々な物が腕に絡みついて、その1つが読書であっただけで、わたしは偶然、腕に本が絡みついたけど、当然絡みつかない人もいる。

『夜を乗り越える』の中で、印象に残った文章がいくつかあった。

まだ若い頃、ある本を読んで、難しい、面白いと感じることが出来なかったが、大人になって色々な本を読んだ後にその本を手に取ってみたら、とても面白く読めたということ。

その経験から又吉は、「ある本が面白くないということは、本が悪いわけじゃなく、自分もまだ、その本を読むための下積みのようなものをしていなかっただけ(文章は覚えていないからニュアンス)」だと言う。

例えばだけど、バスケットを始めるとして、いきなり1人で5人抜き、みたいなことって、よほど才能がある人じゃないと無理なんですよ。

だってバスケットって、まず左右の手で滞りなくドリブルができて、走りながらドリブルをする練習をして、みたいなところから、足の動かし方を学んだりして、だんだんと自分だけじゃなくて周りの動きも把握できるようになっていく、という段階を踏むので。(バスケットに限らずスポーツ全般、というかなんにでも当てはまる)

段階というもの。それが読書にもある。

だから「まともに読書したのは中学校の時(何が掲載されていたのかにもよる)」って言う人に、いきなり三島由紀夫をおすすめしたって、何も面白くない。だって、その人ってまだ「中学生が読める本」の段階にいるから。

で、この段階ですけど、読書の場合、限界みたいなものがないのもいい。たとえテッペンがあったとしても、面白く読める本の数は減らないから、そういうところも、わたしはとても好き。

 

長々となってしまって自分でも嫌なのだけど、強いて言えば『夜を乗り越える』は、読むと自分の中の本に対する思いが刺激されて、「わたしも本が好きなんだけど!同じくらい!」って、語り出してしまいたくなる本でした。

又吉とは、お酒でも飲みながら、本の話を延々と楽しくすることができそうです。