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青と黄色のあいだ

好きなものを好きなだけ

コンビニ人間-「異常者」ではくくれない

読書

芥川賞受賞作、「コンビニ人間」を読みました。

コンビニ人間

 

あらすじはだいぶ前に聞いていて、こんな話かなと自分の中で予想をつけていたのですが、予想からだいぶ、自分の中で嫌な方向に外れていた。

書評を読むと「異常者」とか「発達障害」とか、マイナスイメージの単語がちらほら出てきて、さらに嫌な感じがした。

これは全ての人に当てはまる話であると思う。

ただそのことに気付かない人が大多数でもある。

それは「自分は普通の人間だ」と思いたいからかもしれない、簡単に言えば「無自覚」である。

 

作中で印象的なのは、主人公である古倉恵子が「自分は、周囲にいる人間による集合体である」ことを自覚していることだ。

そして恵子は、このことを自覚出来ているが故に「健常者」より、生きづらい人生を送っており、「異常者」として扱われている。

しかし「異常者」として世界から排除されないよう、自覚的に「集合体」になろうとしている恵子と、無意識的にそれが出来ている人間とでは隔たりがある。

その隔たりを、恵子は自分ではうまく処理できていると思っているが、それは恵子から見た視点でしかなく、「かなり異常」よりも「少しヘン」な恵子は、相変わらず他の人間から腫物のように扱われていた。

この点について、思い当たる節がわたしにもある。

人間はいくつかのコミュニティに所属していて、そのコミュニティごとに自分を変えている(または合わせている)という点だ。

わたしも恵子のように、途中で普通の自分が世間から少しズレていることに気付いて、コミュニティごとの集合体になることにしている。

前述した通り、これはだいたいの人間に当てはまることなのだが、無自覚的にできている人間と、自覚しなければでいない人間とでは、なんとも言えない違和感がある。

これが読了後に「異常者」や「発達障害」と語る人たちが出てくる理由なのではないかと思う。

 

自分の人生を強姦されていると思っている人は、他人の人生を同じように攻撃すると、少し気が晴れるのかもしれなかった。

 

また、恵子を異常だと扱う人間たちのこととは別に、引用部分のように現代の人間の傾向も、作品に取り込まれている。

この前にこういう文章もある。

被害者意識は強いのに、自分が加害者かもしれないとは考えない思考回路なんだなあ、と思って眺めた。

自分を含めた、現代に生きる人間の本質というか、汚さというか、そういったものをストーリーを含めた言葉できちんと突きつけられて、非常に気分の悪くなる作品だけれど、無自覚の人にも、自覚の人にも、読んでほしい1冊。