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青と黄色のあいだ

好きなものを好きなだけ

かなわない/植本一子

名前も、姿も見たことのない、職業すら知らない植本一子さんの本を、衝動的にとは言え手に取り、そして読んだことに何か意味を感じずにはいられない。

何かに迷っている時ほど、本に呼ばれる機会が多い。

三月頭、わたしはなんだか寂しくなって、新宿の紀伊国屋に繰り出した。とにかく一人になりたくなかったのと、誰かを探していたように思う。結局、大勢の人がいるところに出たところで、自分の孤独感を強めただけで、探していた誰かは見つからず。その代わりに『かなわない』を見つけて、すぐに家の最寄り駅に戻り、喫茶店で読みはじめた。

 

かなわない

かなわない

 

 

2011年~2014年上旬までの、一子さんの日々の記録には、隠している部分や、気取っている部分が少しもなく、そして有無を言わせぬ強さがある。それは強すぎて暴力的なほど。

正直、半分までは育児日記。家事と仕事を両立させることの難しさ、夫である石田さんの優しさに頼りつつも、なんとか家族の日々を成り立たせている様子が延々と描かれる。

ここまででも十分に読み応えがあって面白いのだが、後半はさらにスピードをあげ、面白くなる。余力を残していたな?と思うくらい。人が感情で書いている文章に、限界などあるわけないのだけれど、それでも怖いくらいにページをめくる手が止まらない。なんだこれ。

特に2014年の部分は、彼女の日常を客観的に読んでいた読者を惹き込むと同時に、前半の彼女の言動について納得するようなことが書かれている。だが、同時に、彼女は全ての人を裏切る。この裏切りについてはぜひ読んでみてほしい。今でも思い返すと腹立つほどに酷い裏切りであり、夫である石田さんの心の広さも伺える。

日記の合間にいくつか差し込まれている短文の中に、タイトルにもなっている『かなわない』という文章がある。

本音ではない。ただ言いたくて、最後の悪あがきだった。叶わないものに向かって吐き捨てるただの悔し紛れ。 今でもそれぞれの形で、彼も石田さんも、私に向き合い続けてくれている。認めたくなかったものを、やっと認められる気持ちになれた。それを後押ししたのは結局石田さんだった。暗がりの中、涙が出た。居場所は変わらずずっとあるのだ。

石田さんは一子さんの夫でありながら、父親としても機能している。とても凄い人だ。一子さんはずっと、石田さんを真正面から見ることが出来ていなかったと思う。子供のような人だから。それがこの文章で、やっと少しだけ正面から見られるようになっている。

彼に、愛はどんなものだと思うか聞いてみたことがあった。二人で自転車で並走していた時に、ふと思いついた質問だった、彼は少し考えて、私の前に出て走り始めた。そして振り返って私と目が合った。しばらくそうして一緒に走っていた。彼は何度も私がついてきているか確認するように振り返る。そして、「愛はこういうことだよ」と言った。この人にもあの人にも、私は一生敵う気がしない。

一子さんが“敵わない”と思う人たちへの かなわないと、一子さんが望んでいたことが“叶わなかった”、二つの意味がこめられている。