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青と黄色のあいだ

好きなものを好きなだけ

ふれる

日常

ひらがなで「ふれる」と書かれていたら、わたしは真っ先に「触れる」という漢字を思い浮かべる。

多くの人がそうだろう。

人に触れる、物に触れる、心に触れる…。わたしたちが触れられるものは、実体があるものとないもの含め、ものすごくたくさんある。

例えば「人に触れる」。個人的に、わたしは人に触れることがものすごく苦手である。触れられることも、もちろん苦手である。触れた瞬間に、相手の体温がこちらに伝わってくる、あのリアルな温度が、なぜか苦手なのである。

これは、わたしが人と心を交わすことが苦手であるが故だと思われる。人の体に触れることと、人の心に触れることは、ものすごく深い関わりがあることだと思うから。

人に触れること、触れられることが明確に苦手になったのは、中学生の時、反抗期だった気がする。家族と心を交わすのが不自由になった時、肉体的に家族に触れることも苦手になった。

家族以外の人と心を交わすのが不自由になった時、その人たちに触れることも苦手になった。

こうして考えてみると、「触れる」というのは、触れているものの魂に触れることなのかもしれない。そこには確かな実体と、心がある。だから心がある人に触れることは苦手だけれど、わたしから見て心がないと判断されている、動物に触れることはむしろ安心する。

心に触れたら、わたしの心も差し出さなくてはいけないような気がするのだ。人の場合、それを欲している人は多い。心はいつも平等で、交換されるものだから。

動物は複雑な心を持たない。いつも、目の前にあるものだけを見つめていて、過去も未来もない。今しかない。そういう存在である動物の体に触れ、心に触れるのは、本当に楽だ。

しかし、人に触れるの苦手なわたしにも、触れたいと思う人は確実にいる。心を交換し合いたいと思う人は確実にいる。相手がそれを望んでいなくとも。

もっと気軽に人と心を交換し合えるようになれば、もう少し、色々と楽に生きることができるかもしれない。