青と黄色のあいだ

好きなものを好きなだけ

悲しむ

鬼塚ちひろの曲が好きである。

深い悲しみに満ちている曲の数々は、中途半端な幸福に甘んじることなく、どこまでも深く、ひんやりとしていて、逆にもう心地良さを感じられる。

誰にも理解してもらう気のない、彼女の悲しみが、どの曲に詰められている。

しかしどの曲を聴いても分かる。悲しみの量と同じくらいの、愛も一緒に詰められていることに。

彼女の曲から悲しみについて考える時、また悲しみについてふいに考える時、わたしは愛についても考えてしまう。おそらく、悲しみと愛は一緒に存在するものなのだと思う。

「かなしみ」とひらがなで書く時、使える漢字は三つある。悲しみと哀しみと愛しみである。

「かなしみ」に愛が詰まっていると感じた誰かが、「かなしみ」の一つの意味として「愛しみ」を作り、そこに「いとおしい」という意味を与えた。わたしは英語のことは分からないからなんとも言えないが、これは日本ならではの感覚ではないだろうか。

悲しみの背中には愛がある。愛の背中には悲しみがある。