青と黄色のあいだ

好きなものを好きなだけ

物事はちゃんと終わってちゃんと始まる

自分が持つ愛の具体的な形や温度や匂い、質感を表現しようとする時、思い浮かぶのはcharaYUKIの歌声だったりする。少女としての顔と、女性としての顔と、母としての顔をうまく使い分ける彼女たちの歌声は、いつの間にか私の愛の形そのものになっていた。

物心ついた頃から人はそれなりに愛を持って、何かしらとの関係を持つ。けれどそのことに気づくのは十も二十も年をとってからである。愛には実体もなければ決まりもないから、何かと比較するかしないと感じられず、また実際、愛に包まれている時、包まれている本人は愛を自覚できない。悲しいことに。

そうやって愛について自分の考えを固めたところで、十一月ももう終わる、と階段を数段上りながら、そういえば十一月の末といえば、と思い出したことがあった。

その日の夜、私はひとつ大きく心に決めた事があり、それを未だにきちんと守っている。それは自分との約束を守ったと言うよりは、自分の心を守ったと言う方がきっと正しい。十一月の末日からずっと、私は自分の心を守り続けてきたことを、本当に不意に思い出した。

休まず上り続けていた階段の先にあるトタン屋根から少し覗く冬の青空を見て、またそういえばということが私の頭の中にぷかんと浮かんだ。

十一月末に終わったことが、十一月末にまた始まるんだ。それはこれしかハマることのないパズルのピースのように、ぱちっとハマって、始まる。

その始まりがなぜその日になったのか、考えても到底分からないことだけれど、偶然で片付けることも可能だけれど、ただどうしても意味を持たさずにはいられなかった。

ここまで実体を掴めずに何度もすれ違ってきた愛が、この日のためにすれ違ってきたんだとしたら愛という名のもとに、それも全て許せる気がした。