青と黄色のあいだ

好きなものを好きなだけ

幸福と丁寧と余裕

常日頃から、人間の幸福と丁寧さは、密接な関係にあると思っている。

例えば土曜日の午前中、目覚ましをかけずに眠り、自然に目が覚めた時、私たちは幸福を感じる。

それは時間に追われることなく、丁寧に睡眠を貪ることが出来ているからではないだろうか。

想像してほしい。

そのまま布団を抜け出して、洗濯機を回し、まずは目覚めのコーヒー一杯を、丁寧に、時間をかけて淹れる。家中にコーヒーの豊かな匂いが漂う。

ソファだか、キッチンに置いてある椅子だかに腰をおろし、熱々のコーヒーをクッと飲み込むと、起きがけの体の中心を温かい液体が通り抜け、お腹の真ん中にぽとんと落ちる。

その一飲みを堪能した後は、ゴクゴクとコップ一杯を飲み干し、そこで「顔、洗ってない」ことに気付く。

空になったカップに水を入れてシンクに置いて洗面所に向かい、そこで休日の表情をしている自分とご対面。顔を触ってコンディションをチェックしていると、洗濯の終わりを告げる音が鳴る。

濡れないように髪をまとめて、ネットでゆっくりと、丁寧に泡を立てる。真っ白でふわふわの泡を見つめていると、顔を洗うという目的から、どれだけ綺麗な泡を立てられるか、ということに目的がシフトしてしまいそうになる。

顔に泡をつけて洗う、といった平日とは違い、休日は泡に顔をつけて洗う感じだ。今この時だけは、煩わしいことなんて何も考えず、ただ目の前にある泡に顔をつけて洗っていく。

そして丁寧に洗い上がった顔に、これまた丁寧にスキンケアを施していく。何かを丁寧に、心ゆくまでやれることの幸せったらない。

 

こうして過ぎていく休日は、外に出かける予定なんてなくても、幸せなのだと思う。出来ればこの幸せの作り方を、休日だけじゃなくて平日にも実践することが出来たなら、どんなにいいだろう。

丁寧に顔を洗う時間は惜しくても、丁寧にコーヒーを淹れたり、洋服にアイロンをかけたり、食器を洗ったりすることだけは、やってみるといいかもしれない。

そして丁寧とは、余裕とも言い換えられる。

今こうしてパソコンに向かって、丁寧に生きることを想像し、文章にしていく丁寧さ、時間の余裕さもまた、幸福に繋がっている。